弘前の歴史


弘前の歴史

弘前の歴史は津軽藩と共に歩んできました。津軽藩の城下町とし
て栄えた弘前を200年もの長い間収め続けた津軽藩と津軽氏の
歴史を簡単に振り返ってみましょう。

慶長8年に堀越城主だった津軽為信が鷹岡に築城計画を立てます
。慶長14築城途中だった鷹岡城の完成を待たずして為信が死去
、その計画を息子であった信牧が継ぎ、岩木山が見える場所に菩
提寺として革秀寺を移築します。

慶長15年、父の死去で中断していた築城が再開、2年後の慶長
16年にほぼ完成し、寺社、商人、家臣などが城の周りに移住し
ます。

寛永4年、5層5階建てだった天守が落雷で焼失します。寛永5
年には、信牧が帰依していた天海大僧正がこの地を弘前と名付け
地名と城名を弘前に変更します。

寛文元年、4代目藩主信政が初めて入国。宝永7年に信政没。文
化5年にはついに弘前十万石となる。翌文化6年には黒石藩成立
、その二年後には三階櫓が天守の代用として完成します。

そこから明治4年の7月に廃藩置県となりますが、旧藩主の申し
入れにより、市民に弘前城が公園として開放の運びとなります。

・歴史ある街並みと風情の維持

津軽藩とともに歩んできた弘前ですが、今も残る歴史的景観や、
建物が今後も維持していけるように、弘前市歴史的風致維持向上
計画が文科省らに申請され、平成22年に認定されます。

この計画では先人達から受け継いできた歴史や文化資産の維持や
向上、活用。また、市民が誇りに思い、余所から観光で訪れた人
達にとってそれがとても魅力的に見える街づくりに取り組んでい
ます。

伝統的な建物、寺院、ねぷたなど歴史や伝統のある行事などがず
っと受け継がれていく理想的な街づくりができるといいと思いま
す。

ラルゴ山王マンションの建つ場所山王町は、丁度、過去と現代が
交わる場所です。

周囲に歴史的保存建造物や、弘前城、弘前城を守る為に建てらた
寺院などに囲まれています。

歴史を身近に感じる事ができる環境は、とても羨ましいと思いま
す。

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