重要文化財・石場家住宅

・石場家の歴史

石場家は代々、弘前藩出入りの商人でした。清兵衛を世襲し、屋
号は○に世と書いてマルセとし、当時は主に藁製品などを取り扱
っていたそうです。

場所は弘前城からも近く、亀甲門向かいの四辻に面し、敷地の広
さや、建物の大きさなどからも当時の豪商ぶりが伺えます。

現在の建物はおよそ19世紀の初頭には現在の場所に移築された
と推測される建物で、木造平屋建て(一部二階)、入母屋造り(
一部切妻)、柾葺、妻入りの建物です。

幅は桁行15.5間、梁間22間とされ、南と西の道路側は雪国
特有のこみせが取り付けられています。

時代の流れと共に、米や肥料などの小売、現在は酒とたばこを扱
うなどし、屋号と共にその名も現代に受け継がれています。

現在の当主は18代目の石場屋清兵衛氏です。


・石場家住宅とは

石場家の建物がいつ建てられたのかは記録が残っていないそうで
、正確な年代はわからないと看板にも書いてあります。

ただ、19世紀の初頭にはこの地に現在の建物が移築されていた
そうなので、その頃から商いをされていたようです。

現代の建物は昭和48年に、国指定重要文化財に指定をされ、全
国に残されている江戸時代からの数少ない建物として貴重な資料
となっています。

この建物の特徴は建物正面が15間半、奥行き22間、間口9間
といいますから相当な大きさだという事がおわかり頂けるかと思
います。

当時としては城に近く、四辻に面した一等地である事から、商家
としてはかなり優遇された立場にあったのかも知れません。

ラルゴ山王マンションは弘前城だけではなく、重要文化財や歴史
あるお寺などに囲まれたとてもいい立地に立っています。

歴史と文化が共存する町は全国的にも数が少ないように思います
。後世に語り継ぎたい文化と共に暮らしているこの町はとても素
敵な場所だと思います。

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旧岩田家住宅

・岩田一族と旧岩田家

色々調べてみると、旧岩田家は元々他の人の住居だったようです
。というのも、岩田家先祖である岩田平吉氏の住まいはこの場所
ではなく、元々小人町寄りにあったようです。

パンフレットにも建物は二百年前のものだが、岩田家がここに住
みはじめたのは明治時代からと書いてあるのでそれも説明がつき
ます。

入り口の看板によると、旧岩田家は建ててすぐに引き家をした傷
が入っている事と、屋根などは建築当時のままですが、内部を4
回程、改装した事がわかっています。

岩田家は5代目と6代目の頃、三百石の家禄があったようですが
質素倹約を心がけて居られたのか、平吉氏が引っ越しをするまで
の先祖が住んでいたであろう屋敷はここより少し、手狭だったよ
うです。

この建物の家主となった岩田平吉氏がここを中古で買ったのだと
思われますが、現在は、岩田家が使っていた明治中頃から昭和5
6年の状態ではなく、江戸時代後期の間取りに内部を戻して見学
できるようにされています。


・旧岩田家

弘前藩では、禄高によって家の広さを決めていたといいます。二
百石50坪、百五十石40坪、百石30坪、五十石25坪、それ
以下が25坪以下で家を建てる事になっていたといいます。

あくまでもこれは参考であって、実際は、それ以下の建物もあっ
たようです。旧岩田家の坪数は25坪、禄高は百から百五十石で
あったのではないかとされています。

この建物は木造平屋建てで、寛政年間から文化年間頃に建築され
た建物だとされています。寄棟、茅葺で、内部には5部屋あり、
床の間のついた座敷、式台のついた玄関、台所、三方の縁、つき
にわなど中級武士の屋敷の造りとなっています。

先述の通り、ここに岩田家が住み始めたのは明治の中期、この敷
地の参考もそれ以前の持ち主の禄高という事になります。

4回ほどされたという改築は、柱や小屋組などの主要部、茅葺に
至るまで建築当時のままで、内装のみを改築した事がわかってい
ます。また、間口が狭くて細長い敷地なども江戸時代からそのま
まの姿を保っています。

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武家屋敷

・武家屋敷とは

そもそもの武家屋敷とは、武家が所有した邸宅の事をいいます。
大名が所有していれば大名屋敷や、藩邸などと呼ばれます。昔は
下級武士が住む屋敷は侍屋敷などと呼ばれていましたが、現在で
は混同され、武家屋敷と呼ぶ事もあります。

武家屋敷の原型と呼ばれる構造は、公家の屋敷を基に造られてい
ると言われ、寝殿造がベースとなって造られています。

この形態が主流となったのは、鎌倉時代頃で、武家が活躍し始め
た当時に始まった様式です。これを武家造と呼び、寝殿造をより
簡略化する事で、武家の生活様式に合わせて防衛の施設を備えた
り、御家人集が集まれる場所などを設けたりしている所も特徴の
一つです。

先述の通り、侍屋敷を武家屋敷と呼ぶ事がありますが、本来の武
家屋敷とは造りが違うので、注意したいところでもあります。


・時代の流れによる武家屋敷の変化

武家屋敷の様式が変化したのは、室町時代からです。序々に寝殿
造から独立した会所や対面所などを持った建築様式となり、主殿
造や書院造などが主流となっていきます。

また、安土桃山時代頃には書院造もだんだんと華美な装飾を備え
た物に変化していき、豪華な装飾で権力を誇示するような形式へ
と変化していきます。

江戸時代になると武士や農民の中でも比較的裕福な家の者などの
住宅にも床の間などが取り入れられ、明治以降には民家に普及し
て行きます。

明治維新を境に諸大名の屋敷は幕府から与えられたものだった為
、新政府の手によってその殆どが取り壊されて政府の施設などへ
と姿を変えていきます。

かつての武家や公家は華族になり、屋敷の建築様式による違いな
どは意味をなさないものとなります。次第に武家屋敷も姿を消し
て行くようになり、侍屋敷が武家屋敷と呼ばれるようになったと
いいます。

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