弘前ねぷた祭りの歴史


・弘前ねぷた祭りとその謂われ

弘前市で行われる弘前四大祭りの中の一つで、夏祭りとして行われる
とても勇壮なお祭りです。たくさんの人々が「ヤーヤドー」と声をか
けながら武者絵の描かれた山車を引きまわして市内を練り歩きます。

弘前で使うねぷたは扇型の扇ねぷたと、もう一つが人形型の組ねぷた
です。この祭りに出されるねぷたの台数は約80台にも及び、県内で
は最多だと言われています。

ねぷたの語源は「眠り流し」が「ねむた」「ねぷた」へと訛ったとい
う説他、諸説あります。農作物の収穫期に疲れて眠くならないように
、怪我や病気をしないように厄災を水に流すという意味合いがありま
す。

明治から昭和初期は、道場に通う血気盛んな若者達が山車を練り歩い
ていた為、違う道場や町の者と出くわすと石を投げたり、木刀や竹や
りで乱闘する事もしばしばありました。

やりすぎて死人が出る事もあり、ねぷたの禁止令まで出された事さえ
あったのです。当時の名残として、石打無用などと肩の部分に記され
たものまであり、その喧嘩がどれだけの騒ぎだったのか想像がつくか
と思います。



・弘前ねぷたと青森ねぶたの違い

どちらも訛りの差だという説がありますが、弘前はねぷた(Nepu
ta)、青森は(Nebuta)と呼ばれています。語源は農作業に支
障が出ないように、厄災が起きないようにという意味合いなのでどち
らも一緒です。

祭り自体の違いは、弘前は出陣ねぷたと言われ、勇壮なお祭りで、山
車をゆっくりと引きまわして涼しげな笛の音と、力強く響く太鼓の音
が印象的です。一方、青森のねぶたは凱旋ねぶたとも言われ、戦から
勝って帰ってきた姿を現していると言われ、大きな人形の山車とその
周りで乱舞するハネトが祭りを盛り上げる豪華な祭りです。一方は戦
に出向く時、一方は帰ってきた時というように、祭り自体の雰囲気も
山車も少し違っています。

弘前にはこれ以外にも桜祭りや、紅葉祭り、雪灯篭祭りなどがありま
す。祭りにはどこか、日本人の心の奥をくすぐる魅力があると思いま
す。

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