重要文化財・熊野奥照神社本殿


・熊野奥照神社の謂われ

看板には「当神社は今から約1189年前、崇神天皇67年の創立
にして斉明天皇4年、阿部比羅夫がこれを崇敬し…」云々と長々と
書かれていますが、とてもわかりずらいので要約します。

簡単に言い直しますと、建立したのは崇神天皇の薦めにより建築さ
れ、ここを崇拝していた人は数多く居て、その中で阿部比羅夫とい
う人物の子孫がここに神輿を奉納し、その際に奥尾崎という場所か
ら扇野庄という場所に遷したと書いてあります。

さらに、桓武天皇殿というのを新しく造った際に、高岡神社と名を
変え、延暦24年には陸奥国高岡熊野神社と名称が変更されます。

ここの本殿を再建したのが信牧公の為、それ以降、津軽氏もこの神
社を崇敬しました。

明治13には阿部比羅夫と坂上田村麿の魂も共に祀り、名称も熊野
奥照神社と変更し、今日に至っているという事のようです。

・熊野奥照神社の歴史

天正16年に津軽為信が社殿の修復を行い、慶長15年には津軽信
牧が社殿の再建を行っています。また、天保13年津軽順承が拝殿
の再建を行うなど、代々この神社は津軽家と深い関わりを持ってい
ます。

明治初頭の神仏分離令により、最勝寺を中心として弘前城を守って
いた12の寺のうち、殆どは廃寺となり、この神社も仏式が廃され
た為に名称を熊野奥照神と改称することになり、その後は明治6年
郷社、明治13年県社に列します。

現在目にすることができる本殿は、慶長15年に再建されたもので
す。三間社流造や、素木造り、柿葺きなどを見る事ができます。

細部にも目をやると、彫刻や組物など、江戸前期の神社建築の色が
色濃く残されています。昭和29年に国指定重要文化財に指定され
社宝の藪手刀は青森県宝、石造りの狛犬と、熊野神社奥照神社板碑
は弘前市の指定有形文化財登録がされています。

狛犬は場所がわかりにくいので、宮司さんにお願いして、拝殿の裏
を見せてもらいましょう。

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